誰かに指摘されるということ

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徳倉です。

今日は、今話題の国立競技場建設費に関して思うところを。

費用についていくら上がったとか、維持費がこれだけかかるなど金額の話は、すでにたくさんの方々が指摘されているので私が書くまでもありません。

私は事業者としても、国の委員としても一般的な職業の方に比べると税金の使い道に纏わるお仕事も多いので、この国立競技場の選考にあたってどのような評価軸で選んだのかが大変気になるところです。

ファザーリング・ジャパン事務局長時代には、某省と協働させていただいた案件が会計監査院のチェックする事業に入り、なぜかやきもきした記憶があります(当然全く問題なしでしたが)。

国が助成金を拠出する色々な事業の中の1つの選考委員をここ数年させていただいています。規模も国立競技場の案件に比べると本当に小さいのですが、費用も詳しくチェックします。

国内で競技場がいくつもあるわけですから、どのくらいの予算が妥当なのか?
これまでのオリンピックにかかっている建築費はいくらなのかなどすぐにわかりそうなものです。

事業を選定した項目表が必ずあるはずなので、ぜひ見てみたいものです。

 

さて、タイトルの「誰かに指摘される」ということ。

これは後の祭り的な指摘ではなく、選考後においても指摘された場合に誰が説明を行うのか?責任の所在がどこにあるのか?がポイントなのかなと思います。

指摘されてもへっちゃらな人や責任の所在があいまいになるくらい関係者が多い場合など、指摘の意味がなくなるケースに陥っているような気がします。

この際、取り壊してしまった国立競技場を そのまま今の技術で耐震や細かい部分を今風に変えて再建すればいいのにと思う朝でした。

今日はこの辺で。

(img via Martin Howard)