人はどうして私が喜ぶことを知っているのか

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近藤です。

いいお天気が続いていますね。山の我が家では新緑がまぶしくなりました。

近くの田んぼでは水が入り始めて空気が澄んできました。花粉ももう終わりでしょうか。

 

昨夜、仲良くしている友人から「これ、よかったら」とパンの袋をもらいました。家に帰ってよく見ると私も家族も世界で一番好きなパン屋さんのパンです。

お店が遠くへ移転してしまったので今はあんまり食べられないパン。うれしくてたまらなかったのですが夜遅かったので、家族全員で小さく叫びました。

こんな時間に、と思ったのですが我慢できずそのパンを「懐かしいね、おいしいね」とみんなで食べました。

 

人はどうして私が喜ぶことを知っているのか

 

その時私は心底不思議に思っていることを家族に話しました。

 

「どうしてみんなお母さんの喜ぶものをしってるんだろうね、お母さんはみんなの喜ぶものを送ってる自信がないんだけど」と。

子どもたちは「お母さんの周りにはお母さんの喜ぶものをあげる人が集まってくるんやわ」「お母さんはもらったらなんでも喜ぶからかな」などなどいろいろ言います。

なんでだろう、なんでだろう。

 

もしや私は欲しいものや好きなものをもしや宣伝してあるいているのだろうか。

もらったらなんでも嬉しいか、と言われれば確かに。でもみんなは私が欲しいものをくれるんだもんなあ。もしやみんなは相手を喜ばせるためのアンテナをとてもたくさん立てているのかも。

 

私は自分がうれしくなるためのアンテナばかりが立っているのかも。そんなことを思いました。

だから、今朝からは「相手が喜ぶことをキャッチする」アンテナをもっと立てて周りを見てみようと思います。

 

「いつも贈り物に自信がない問題」は当面解決しそうにありませんが、贈り物を選んでいる時の相手を思う気持ちはとても深いんですよ、言い訳がましいけれど本当です。

 

息子曰く「あんまり気にせんでええけん。お母さんがプレゼントみたいなもんやけん、おもしろいけん、笑えるけん」って。複雑です。

では、また。