うじこ と オビワン

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うじこ と オビワン

近藤です。

愛媛ではとても涼しい夏休みのおまけ的な土の朝です。

もう学校がはじまっている地域のみなさんはホッと一息の土日でしょうか。

お盆の辺りから、誰に会っても「宿題済んだ?」があいさつ代わり。

わが家でも毎年分かっているのになぜかバタバタする夏休みの後半でした。

 

昨日、娘と話していた時のことです。

今年は小学生の時より夏休みに時間があったのに、宿題が計画通りに進まなかったということが話題に出ました。

娘はなぜ宿題が進まなかったのか、という理由探しからスタートしようとしたのですが、ネガティブな言葉が出てくるのが分かっていたのでそこはスキップ。

私は「なぜ」、より「これからどうしようか」にフォーカスしようよ、といいました。

娘と私はスーパーポジティブなところもありますが実は「うじこ」。
(うじこ、は実家に伝わる我が家語。うじうじする子、のことです)

 

かつて私は「なぜ」から始まる振り返りを「最終的には自分が悪かったのだ」という結論にしてしまうところがあり、「うじこ」道まっしぐらな人でした。

しかし20代後半で渡米し、毎日失敗を繰り返しているうちに「なぜ」と決別してもいいんじゃないかと思うようになりました。

同僚のチュリスに

「何でも自分が悪いと思わなくていいのよ、誰もあなたが悪いなんて言ってないんだから」

と言われました。

あなたに求められているのは失敗に対する後悔ではなく、次からよりよい仕事をすることなのだから自信を持った方がいい、と。

 

当時の私は英語の壁に悩んでいたり、授業が上手くいかなかったり、保護者や子ども達との付き合いに疲れていたりしたこともあってダークサイドに落ちる寸前。

彼女はそこを救ってくれたオビワンのような人でした。
(実際のオビワンは弟子のアナキンをダークサイドから救い出すことはできなかったんでしたっけ。)

私にとっては彼女は師でもあり、お母さんのようでもあり、友人でもあり。 アメリカの大人の暮らしを教えてくれた人で、悩んだ時はよく森へ誘ってくれ長い道のりを歩きながら話をしました。

「大人になったら一人で考える時間が何より必要だからね。でもじっとしてると考えはいい方向へ行かないから歩くのよ」とよく言っていました。

 

娘と話をしながら突然チュリスのことを思い出してしまいました。

あんな大人になりたいな、と思ってたことも。

それってつまり、オビワンになりたいってことなのかな。森を歩いて考えてみよう。

では、また。