体は寛容でできている?

[更新日]

体は寛容でできている?

近藤です。

山の我が家は急に寒くなりました。前日までの夜とは全く違う空気。

皆さんの地域も寒いでしょうね。

 

昨夜は愛媛の会社で忘年会がありました。

普段は支社にいたり、出張に出ていたり、働く時間が違ったりする社員がいます。

私も外に出ることや休日の仕事が多いので、全員と時間を気にせず話せるのはこういう時だけ。おいしいものを前にみんなの話を聴くのは本当に楽しい時間です。

 

昨夜は二次会まできっちり参加したので帰宅は深夜になりました。

寝ているはずの子ども達が「おかえりー」と元気よくリビングで声をかけてくれました。

留守番をしてくれていた母曰く、テストの結果がよかったのですが、子どもから見ると悔しい点数だったと。そこで復習をしていたらこの時間になったと。

そんなわけで勉強したいと言っているのに止めさせるのはどうかと思って…。とのこと。

そんなこんなで息子の方は満面の笑みで「今、勉強ハイなんよ」というし、娘は静かに我が道を独走中なのでした。

 

深夜のリビングで、私は「最後の授業」という番組を思い出しました。

生物学者の福岡伸一さんが「動的平衡」についての話を学生にしていました。

その番組とこれまで読んだ福岡さんの本から「動的均衡」とはバランスを崩す(不安定な状態を作り出す)ことによっていろんな変化に対応できる「安定」を作り出しているということだ、と思っています。

 

さて、昨夜、わが家ではその「動的均衡」が見られました。

両親が出かけている→ミッション(宿題)を達成しなくてはならない→やらないとお母さんに激怒される(ここまでがかなりバランスの崩れた状態)→平和のために宿題をやる→夜遅くなっていく→やってるうちにもっとやろうと思う→やる→祖母、応援してくれている→両親帰宅、夜遅くまで起きているにもかかわらず褒めてもらえる(家庭の安定)。

そんな感じです。

 

ここで褒めてもらえると思っているところが甘いのですが。

(両親は何より食事と睡眠を大事に思っていることをまだ分かっていないからです)

 

無理に当てはめてしまったのですが、私は動的均衡は細胞や体内だけでなく、人の暮らしや生き方にも同じことが言えるんだろうな、と思っています。

たくさんの不安定さの中にあって、それぞれが安定を創り出そうとする。

その過程で「どうしてそんなことを」というようなことが起こることもある。

いいと思ってやっているけど失敗もするし、変化のための大事な困りごとでもあったりする。動的均衡って寛容なのかもしれない。

 

私達って実は寛容が詰まった細胞でできている寛容の塊なのかもしれませんね。

福岡先生、勝手なこと言ってごめんなさい。

では、また。