選択理論は修行なのかもしれない

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選択理論は修行なのかもしれない

近藤です。

温かくなってきましたね。我が家では蝋梅が咲き終わって今は沈丁花が満開です。

 

これまで仕事、子育て、地域活動などで幾度となく用いてきた選択理論。

しかし最も失敗続きなのが子育てで用いる時です。

 

選択理論では「すべての行動は自らの選択である」と考えます。

行動を選択できるのは自分だけなので、他人に直接行動を選択させることはできないという考え方です。

 

例えば親や上司は子どもや部下の行動をコントロールすることはできないということになります。なぜなら彼らの行動は彼ら自身が選択するものだからです。

そこで親や上司は彼らの行動が上手くいかなかった時に彼らに気付きを与え、次にどう行動するのがよいか、ということを考えさせ成長を手助けするのが選択理論によるチームマネジメントであったり、子育てであったりします。

 

さて中学生の娘は現在期末試験の真っ最中です。

これまでは彼女が計画を立てるのを手伝い、計画通りに進むよう助けてきました。

…と言いたいところですが実は私がこうした方がいい、と計画を立てさせその通り勉強が進むよう見張っていました。

これは「彼女がちゃんとできないから」「彼女のためになるから」という理由付けをして、彼女を思い通りにコントロールしようとしていたことの表れでした。

 

今回の試験の少し前から何度目かの挑戦ですが、本気で選択理論を用いて彼女と接したい考えていました。子どもの自立ということはもちろんですが、それ以上に私自身の子離れのために必要だと考えたからです。

夫と選択理論を用いた子育てについて話し合い、子ども自身の決定を尊重し、その責任に気付かせること。私たちは彼女の代わりに決めるのではなく決められるように気付きを与えるようにしようということになりました。

そして彼女が決めたらどんな決定でも応援してやる、ということも。

 

試験勉強と試験の結果については、現在のところ惨憺たるものに見えます。

昨日は試験一日目でした。

試験の際には提出物が多いのですが、それらを甘く見ていた娘はほぼ徹夜に近い状態で仕上げていました。

分からないところを夫に教わっていましたが、眠くて逆切れしたり泣いたり。夫はよく怒らずにつきあったものだと感心しました。私なら「分かってるのになんでもっと早くからやっておかないの!」と娘以上に逆上したことでしょう。

 

現在のところ彼女の計画は計画で終わっており、おもしろいこと、好きなことに没頭する時間の方が圧倒的に多い状態です。

(今も私の目の前の机で楽しい小説を読んでいるようでゴキゲンです。そんな暇あるの!と怒りたくなる気持ちは消えませんが)

 

昨夜、試験の手ごたえについて聞いたところ、飄々とした様子で「分かるところとわからなかったところの差が激しかったよ。目標点が獲れそうにないから後の教科は100点獲るようにしよう」と言っています。

また提出物に漏れがあったらしく「集める前にものすごい勢いでやったら英語のワーク7ページすぐ出来ちゃった」なんていうのです。

そして続けて「急いでやったらあっという間にできちゃう人なんよ、私。すごいよねえ」と。

 

失敗から学ぶ人ってたくさんいますが、我が娘には当てはまらないのかもしれません。

彼女は失敗やピンチから自分の強みを再確認して自信をつけるという人のようです。

ああ、娘のこの考えは意外というべきかやっぱりというべきか。

 

自分の子どもとの間で選択理論を用いることほど修行だと思えることはありません。

では、また。