禅のおかげで

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近藤です。

台風の影響で厚い雲に覆われている山の我が家です。

みなさん、ご安全に過ごしてくださいね。

 

先日、ある会合で曹洞宗のお坊さんとお話しする機会がありました。

話題は宗教学や美術、教育学、とどんどん広がり、「瑞応寺」という私の町のお寺の話になりました。

 

曹洞宗の修行場といえば「永平寺」が有名ですが、その永平寺と並ぶ修行場が山の我が家の近所でもある瑞応寺なのです。

托鉢でお山を降りてくる雲水さんにお布施を渡すのは日常ですし、町でお使いに降りてきているお坊さんを見かけると「送りますよ」と車に乗せるのは昔からのお檀家ならでは。

お寺の生活の端っこと私たちの生活の端っこがつながっているのが山の生活なのです。

 

件のお坊さんから「海外では瑞応寺は特に人気があるんですよ」と言われてびっくりしました。

確かに。

色んな国からやってきた雲水さんがいて賑やかな時期もありました。

そんな偉大なお寺ですが、時代のせいか修行する人が随分と少なくなり今は寂しくなりました。

 

外国にいると禅に対する尊敬の念みたいなものを感じます。

例えばアメリカで言葉がわからなくて黙っていた時のこと、剣道を教えていたせいで「チカは禅の心があるからペラペラ喋らないらしい。」と憶測が飛び交った事がありました。

ありがたすぎる誤解でした。

 

言葉が下手だと、その言葉の使い方で相手の見方を決めてしまうところがあります。

その人の中にある知性とか教養は言葉以外から分かることもあるけれどそれは時間がかかります。

 

自分の思いが伝わるように言語化する力を磨く必要もあるし、相手の中から素晴らしいものを汲み取る力も養う必要があると思うと私なんかまだまだだなぁ、とお坊さんとの対話で感じたのでした。

 

では、また。